やりたくないこと、それでいて大切なことをする方法
こんにちは。マーキュリーです。
誰しも、やりたくないことはあると思います。
それが本当に必要ない場合もあれば、本当は物凄く大切な場合もあります。
やりたいことをする事は誰でもできます。やりたくない事にどう向き合っていくか、これこそが人生を歩むコツだと思います。
私が考える方法を書いていきます。
本当に必要ない事はやらなくていい
まず、はじめに言いたい事ですが、必要ない事はやらなくていいです。当たり前ですよね。
でも、必要ないと判断するのは一人の人間です。神ではありません。
そのとき必要でないと感じたことも、後になって必要だったと感じることもあるかもしれません。
また、人間はやりたいことを必要だ、やりたくないことを必要でない、と感じやすいです。
これは古来からの人間の本能です。例えば食欲、睡眠欲、性欲があるのはそれが必要だからなのです。
でも、今の社会、やりたいことだけをやる事はどうしてもできませんし、やりたくないことでも人生において重要なキーになることがよくあります。
人間の主観によって、必要かそうでないかを判断してしまっては間違えることもあります。
自分に偏見がないかを本当に考えて、やるかやらないかを決めましょう。(必要ない事はきっぱりやらない!と決めることも大切)
やりたくないことをやるには強制的にやる状況に持っていく
やりたくないことをやるとき、人間はどうしても色々と理由をつけてダラダラしてしまいます。きちんと吟味する事は大切かもしれませんが、基本的にはこれを一切禁止することが大切。
やりたくないことでも、やり始めた後にやる気が湧いてきたり、やり終えたら意外と大したことなかっただとか、やり終えたらそれが大切な事だとわかることがよくあります。
まず、やってしまう事。それも集中して。ダラダラとしない。
やらないといけない状況に持っていく方法、沢山あると思います。自分のスタイルに合わせて、考えてやっていきましょう。
三輪車、四輪車、五輪車•••のように生きる
人生安定させていきたい。
一輪車より、二輪車、三輪車の方が安定する。
タイヤは多い方がいい。
一つのタイヤを良くしつつも、何個もタイヤをもって安定させたい。
あるタイヤがダメになっても倒れないように。
新しいタイヤを作るのは慣れてないと少し苦労があるので、時間的精神的余裕があるときにやっていけばいいだろう。
でも、中途半端になりすぎないように気をつける。
また、考えなしに突っ込みすぎないようにも気をつける。リスクはおかしすぎない。自分ができること。できないこと。身につけたいこと。
いい車、作りたいと思います。
一つのことを主張しないといけないという風潮
特に文系関連の主張に多いと思うのですが、何か一つのことを主張すべし、という風潮があると思います。
ある人はこういうことをドン!と主張していて、またある人は全く違うことをドン!と主張している。
これ、少し後に引けなくなるんじゃないですかね。
一つのことを主張しないと相手に伝わりにくいのかもしれません。
でも、それだと読み手、聞き手がその事について勘違いしてしまいやすくなると思います。
その人の意見に偏ってしまう。価値観が狭まる。
分かりやすいというのはある意味勘違いさせやすい事と近いと思うのです。
ほんとはもっと色んな要素があって複雑だけど、全部いうと伝わりにくいから、一つのことを伝える、というのも悪くはないのかもしれませんが、分かりやすい代わりに聞き手、読み手が勘違いしやすいとも思います。
ちょっと一歩引いて、自分はどっちかというとこっちの意見だとこういうこともあらしああいうこともあるし...というような文章も必要だと思います。
それだと上の立場の先生から、何言ってるのかが伝わらん!と言われるのかもしれませんが、そこは情報の受け取り手が頑張るべきところでもあると思います。
分かりやすく文章を伝えるだけでなく、分かりにくくても正確な情報を、受け取り手が頑張って受け取る、というのも必要だと思います。
情報を与える側が分かりやすいように分かりやすいようにと傾くだけでなく。
分かりやすいから評価されるというのも考えものだと思います。
学校では学ばない事がたくさんある
最近、学校で学ばない事、それでいて大切なことが沢山あるんだなと感じています。
例えばお金の事とか。
学校では汚い感じがしてあまり教えられないのかもしれないのですが、とても大切な事だと思います。
他には、パソコンの使い方とか。
最近パソコンを使い始めたのですが、学校であまり教わっていないので最初はなかなか使えませんでした。
情報というのは手に入れようとしないと手に入らないと思います。就活のセミナーに行ったり、研究室訪問をしたり、色んなことにチャレンジするようにここ何ヶ月かするようにしているのですが、今まで知らなかった多くのことを知りました。研究室訪問に行けばlatexでレポートを書くといいよと教えてもらったり、有益な情報を沢山得られました。
もちろん、物理の勉強一本で勉強するのもとても大切だと思います。そういう時期も必要。
でもそれだけでは一向に入ってこない情報というのもあるので、少し挑戦的になって他のことにも手を出してみるのもいいかと思います。
そうすると将来研究するときとかも余計なことに気を取られず物理の事以外に気を配らなくてよくなると思います。
学校では学ばないことが沢山あると言いましたが、学校で学ぶことも沢山あります。
自分の目的に合わせて、その兼ね合いを考えて行動していきたいですね。
性善説を信じたい
元々の性格はあるのかもしれないけど、環境によるところは大きいと思う。
精神的に強くて周りに左右されずにぶれずに性格良く、正しく生きることができる人もいるし、そうでない人もいる。
だから、性格悪いと言われる人も、元々はそんなに悪い人じゃなかったんだと思う。そりゃ、性格面での才能はあるから、同じ環境でも性格良く育つ人もいるのかもしれない。でもその人は悪く育ったんだ。ある意味仕方ないと思う。
その人の過去なんてその人しか知らない。流石にこの性格の悪さは元々だろ、治らねえとか思ってしまうかもしれないけど、その人の事を知らない以上そこまで語ることはできない。そりゃ、悪いところは注意したほうがいいこともある。
でも、その人を全否定するのは良くない。だって、その人の専門家はその人で、私達はズブズブの素人なんだ。専門家しか知らないことがたくさんあるのに素人が全否定するのは良くないと思う。
例えばメンタリストのDaigoさんとか、普通の人から見たら少し性格が悪く見えると思う。でも、そこまで悪い人とは私は思えない。環境によってあの様な性格になった要素も強いと思う。(そもそもあの性格もそんなに悪い様にも思わないが)
他には、ホリエモンさん。
ホリエモンさんの性格は、良くないと思う。正直あんまり好きじゃない。周りの人をバカだ、と切り捨てる様子が目につくが、それも環境による要素が強かったのではないかと思う。周りからの非難とか。
本人が悪いとか本人の努力の問題と言ってしまうのは簡単だ。何もその人について考える必要がないから。
確かに、努力は大切だ。
でも、それとその人を構成しているのは努力だけでは全くない。
本当にその人の事を考えるのなら、その人の過去とかも考えてみてはどうだろうか。それすら面倒くさいというのなら、その人の事をそんなに語る資格はない。
そんな事を考えてあげると相手が甘えるとか思う人に言いたい。
優しくなろう。器を大きく持とう。
優しくなれない、器を大きく持てないのも、過去に大きく原因があるのかもしれない。私はあなたの素人なのでわからない。
私はあなたの過去をかんがみてます。その上で努力が大切だと言いたい。
自分を追い詰める必要は決してないけれど、そうやって少しずつ人間性を周りに振り回されず育んでいきましょう。