VS嵐のローリングコインタワーを物理的に考察してみた
こんにちは。マーキュリーです。
正月のVS嵐をこの前見ていて、最終決戦でローリングコインタワーがあったのですが、これなら簡単に、物理的に考えられるんじゃないかと思ったので、考察してみることにしました。
結構簡単なので、多くの人が理解できると思います。
ルールと仮定の説明
ローリングコインタワーでは上の図のように3種類のコインがあります。1チーム二人で2チームでの戦いになります。毎ターン必ず3種類のコインを積まなければなりません。4人で一人ずつ積んでいき、倒した人のチームの負けになります。
仮定としてテレビを参考にして上の図のように厚さと重さ、半径を設定しました。(ただイメージしやすいようにおいてみただけなので下の議論では一切使っていません)
また、簡単のため、積み方は上の右側の図のように、真横にしかずらさないとします。画面から見て奥にずらしたり斜め奥にずらしたりというのは無しです。常に画面に平行にずらします。
どんな時に倒れるか
2枚積んだ時
上のコインをA,下のコインをBとしましょう。重力は、図のようにコインの重心に働きます。また、BはAから垂直抗力を受けることになります。Bの重心がAの円の中にある時は、上の図の左のように垂直抗力と重力がつり合って倒れません。しかし、右のように、Bの重心がAの円の外にある時は、重力が働く重心部分に垂直抗力が働くことが出来ないので、重力と垂直抗力がつり合いません。従って、高校物理でいう力のモーメントが生じてしまって、コインは倒れることになります。
3枚以上積んだ時
もっと多く積んだ時のことを考えてみましょう。
考え方は同じです。
上の3枚と下の3枚に分けて考え、その境目から崩れ落ちるときはどのようなときか考えます。この境目の面をSとします。上の3枚の重心をまず求めます。高校物理の重心公式である、
を使えば簡単に求められるでしょう。
3枚のコインの重心というのは、そこにまとめて3枚の重力が働いているとみなしてよいという部分のことです。
ここで2枚コインを積んだ時と同じように考えることができます。上3枚の重心が、境目Sの円の中にある時は倒れず、境目Sの円の外にある時は倒れるという事になります。理由は2枚の時と一緒で、円の外に重心があると力のモーメントが生じてコインが回転し、崩れ落ちてしまうからです。
どんな時に倒れないか
次はコインが倒れないための条件はどんなものか、ということを考えていきましょう。
コインが倒れないという事は、倒れる条件が決して満たされないという事です。
上の図におい矢印が指す全ての境目で、上のところで考えた倒れる条件が満たされてしまわなければ、コインは倒れないという事になります。
実際の状況について考えてみる!
実際、上で話した理論でどんなことが考えられるのでしょうか。
1.コインが重い(厚い)ほうがコインタワーを倒してしまいやすい
これは直感的にはすぐわかることでしょう。
コインが重いほうが、上のところで紹介した重心公式により、重心をずらしてしまいやすいのです。重心をよりずらしてしまうという事は、ある境目で、上に乗っかっているコインの重心がコインの外に出てしまいやすくなるという事です。
普段は人間の感覚で重心が円の外に出ないか考えてコインをおいていることになります。
2.トリッキーな事をすると上のほうで崩れる、長期戦になると下のほうで崩れる
これもなんとなく分かるのではないでしょうか。気になる人はvs嵐のローリングコインタワーの映像を良ーく見てみてください。
まずトリッキーな事をしたときについて考えます。
トリッキーな事をすると、もちろん重心が大きくずれます。
上の図でも上のほうは少しトリッキーな事をしています。
その時、上の図の境目Aと境目Bについて考えてみましょう。どちらの面についても倒れる条件を考える際には、境目の上のコインの重心が境目の円の中に収まっているかどうかを考えることになります。
境目Aの上のコインより、境目Bの上のコインのほうが数が多いです。(当たり前のことです)
上のほうだけ重心をずらしているので、境目Aの上のコインの重心のほうが境目Bの上のコインの重心よりも大きくずれていることが分かります。(境目Bの上のコインは枚数が多いので上のほうをすこしずらしただけではそこまで重心がずれない)境目の円の外に重心が出ている可能性がより境目Aのほうが高いことになります。
こういう時はもし倒れるならば上のほうからでしょう。
次は長期戦の時を考えます。
長期戦になった場合は、みんなが安定して重心をずらさずコインを積み重ねていることになります。この時、トリッキーな事はあまりされていないはずです。慎重に慎重にやった結果、ある時倒れるというパターンでしょう。
境目Aの上のコインの重心は数が少ないのでほとんどずれることはないです。これは少ない数のコインを慎重に積んでも崩れにくいことと同じ理屈です。
しかし、境目Bの上のコインは枚数が多いです。人間の感覚がどれだけ優れていても、枚数が多ければ徐々に重心はずれていってしまいます。つまり、境目Bの円の外に境目Bの上のコインの重心が出てしまう可能性が高くなるという事です。
このように、慎重にコインを積んで長期戦になると、下のほうから崩れやすいという事が分かります。
ここで気を付けてほしいのは、トリッキーな事をすると一番上から崩れ、長期戦になると一番下から崩れるという事ではないという事です。あくまで、上「側」で崩れやすい、下「側」で崩れやすい、というだけです。
全ての境目について倒れる条件が考えられるので、実際にどこの面で倒れるかは、その時の状況ですべての面について重心を考えたときにどこの面で初めて倒れる条件が適用されるか、という事によります。
しかし、この推定はおおむね当たっていることでしょう。
別に勝てるようになるわけじゃない
残念なのが、上の理論を知ったところで別に勝てるようになるわけじゃないという事。
重心とか毎回計算してらんねえよ!
結局感覚勝負です。あと駆け引き。
なんか勝ちやすい方法あったら教えてください。(笑)
他にも「物理・数学の美しい方程式を一挙に紹介」という記事を書きました。結構力を入れて書きました。もし良ければ見ていただけると嬉しいです。
「かっこいい物理用語ランキング」という記事を書きました。気軽に読んでいただけると嬉しいです。
素粒子の論文は誰でも読めるようになっている!という話をしました。
物理の本書くってコスパ悪いんじゃないか
物理の解説をする本を書く人っていると思うけど、コスパ相当悪いんじゃないかと思う。
物理の本書くのって、相当労力いると思います。正解不正解が存在する内容だし、めちゃくちゃ難しいし。
間違った内容書いたらその時点で価値下がるし。
それに、読む人結構かぎられてるし。
なんか国から補償でも受けてるんだろうか。教育のため的な。
ホリエモンとかの本が売れてるのを見ると物理の本はコスパが悪いと本当に思う。
ホリエモン同じ内容の本何回も出し過ぎでしょ。しかも物理の本よりかは絶対内容テキトーに考えてると思う。
なのに売れている。。
物理の本って分かる人が見れば本当に価値のあるものだとは思うけれど分かる人が少なすぎるというね。そして私もあんまりわからない方だけど。
物理学者は儲けとかあんまり考えないからいいんだろうけど。
研究者の収入がそんなに高くないというのも問題だよね。
求められる労働時間と能力が異常に高い割には給料そんなに高くないという。実験費用とかにめちゃくちゃお金がかかるからというのもわからなくはないけどそれにしても少ないよね。
研究者は好きでやっている人が多いからお金はやらなくても成り立つと国は思っているのだろうか。
少し上げたらいいと思うけどな。。
本書いたらどれくらい売れるのだろうか。。
将来どうやって生計立てようかな
将来本当に自分が一人で生活していけるのか不安だ。
メンタルが弱い。
サラリーマンになるか。自分で独立するのか。大学に勤めるのか。教員になるのか。
いずれにしても精神的に安定して生活したい。
お金を得るって本当に難しいことなんだなと最近思う。
企業勤めをすれば自動でお金を得られると思うが、自分でお金を稼ぐって相当難しいと思う。
もちろん、お金に振り回されたくはないけども、そこの点に関して不安を持ちたくはない。
本当に自信がない。自分の取り柄は勉強とかしかないが、そのせいでなぜか自分はなぜこんなに自信がないんだ、できるはずなのにと言う謎のプライドを持ってしまってはいる。
高校生の時は自立とかあんま考えてなかったけど、大学生になって自由が訪れると否応無しに考えることになった。
学費も高いし。
不安を持つと言うことはある意味いいことなのかもしれないけど、いつ自信を持てるようになるのだろうか。
結局何かしらの結果が出た後だろうな。
何をすればいいのかわからない!
金の猛者になるつもりはないけれど、人生やっていける自信を持てるようにしたい。
彼女がいたら何か違うだろうなあと思う。
自分一人でやっていくのも精神的に辛い。
でも物理学科には出会いなんて皆無だし。
お金ってどうやったら手に入れられるんだ。。。
捻挫しちゃいました
昨日調子に乗ってたら捻挫してしまった。
駐車場の車を止めるやつの上に乗ってそこからほかのやつに飛び移るっていう遊びしてたら足くじいた。
足くじくのが癖になってる。中学生の時にくじくことが多かった。大したことないと思って一切病院行ってなかったら癖になってるわー。
それからも何回もくじいたことあるし。
捻挫って靭帯損傷した部分に新たに靭帯がつけたされて治るんですよ。
つまり捻挫したら毎回靭帯って伸びていくんですよ。
足首の靭帯相当伸びちゃってるなあ。
左足の方が捻挫したことがないんだけど、病院の先生に左足捻挫した時右足の方が靭帯伸びてるよって言われた。
リハビリトレーニングしっかりやった方がいいのかな。少し調子に乗ったらすぐなるんだよなあ。
くそおおおおおおおおおお。
あー痛い。
でも今回は前に比べて大したことない。
朝日を浴びてセロトニンがほしいので
朝日は浴びるようにしよう。なかなか外出れないけど。
英語の勉強法
こんにちは。マーキュリーです。
今回は英語の勉強法について話します。
型にはまりすぎた英語の勉強はよくない
よくある勉強法として、
長文問題を解く
リスニング問題を解く
和訳の練習をする
などがあり、このような勉強法が普通•
妥当だという風潮がよくあります。
しかし、これらは英語の勉強法としてあまりよくないです。
英語の勉強は、興味を持ってやれることが大切です。
基本的に、長文の内容は多岐にわたるので、自分が興味を持てる内容とは限りません。日本語の本ですら、興味のない本を読むのはつらいですよね。英語の本でしたらなおさらです。
また、上記のやり方で英語の勉強をすると、英語が道具であるということを忘れがちになります。
英語はあくまで話したり書いたり情報収集するための手段であって、出来るようになるためのものではありません。
英語が出来るだけ、というのは、世界的に見ると、相当低レベルな世界です。
英語を母国語とする国では、誰でも話せます。英語ができるというのは日本人にとってはかっこよく見えるかもしれませんが、大したことではないのです。
にもかかわらず、英語を身につけるためだけに多大な時間を費やすというのは、はっきり言って時間の無駄です。
日本人で英語を使って活躍したいと思っている人は、英語が使えれば御の字という考えを捨てなければなりません。英語が使えるのは当たり前なのです。
周りに流されてやっている英語のためだけの型にはまった勉強はさっさと辞めてしまいましょう。
次にオススメの英語勉強法を話します。
学びたいことを英語の本で勉強する•調べる
これが一番効率がいいと思います。何か興味があること、学びたいことは誰でも一つはあるのではないでしょうか。
これだと、英語を学ぶことと、学びたい内容を勉強することを、両立することができます。
そんなことできるの?
と思っている人もいることでしょう。
答えはこうです。
そう思っている時点で型にはまった勉強に侵されています。
この記事を真面目に読むような方は、ある程度きちんと英語の勉強をしてきた方たちでしょう。 なのに英語の本一つ読む程度のことでビビってはいけません。英語は本来こうやって英語で本を読んだりするためにあるものです。むしろ、これができなければ普段英語の勉強している意味はないと言っていいほどです。英語はTOEFL•TOEICの点数を上げるために勉強するものではありません。このように英語を使って何かをすることができるようにならないと英語を勉強する意味はありません。
大学生ならば、将来英語の論文を読むことにもなってくるでしょう。
そのとき、英語が出来るかなんてのは当たり前の世界です。あなたが英語の勉強に苦戦している間、世界の人たちは当たり前のように英語を読み進め研究を進めています。
それなのに、大事な時間を英語をできるようになるためだけの勉強に費やしてはいけません。
将来英語を使うことを見通して、知りたいことや気になったことを、英語で調べるようにしましょう。
英語を使うということは、普段私たちが日本語でやっていることを英語に置き換えて暮らすということです。
本当に英語を将来使いたいのなら、普段日本語でやっていることを英語でやるのが一番の近道です。
ちなみに、これらのことは高校生•中学生の英語勉強にも言えることです。
受験勉強という観点で見ても、点取り虫の問題対策で点をとるのは限界があります。本物の使える英語力を身につけることが、受験勉強という意味でも、将来英語を使うという意味でも絶対に必要です。
世の中に出回っている英語の勉強法に振り回されるな!英語というのはなんのためにあるのか考え直そう!
原始的に生きていきたい
今後はAIが発達して、AI頼り、機械頼りの社会になっていくのかな。
そういうものにあまり頼らず原始的に生きていきたい。スマホとか、正直なくてもいい。スマホがないと今の時代やっていけないとかいうけども、実際無くてもなんとかやっていけると思う。
お金にもとらわれたくない。お金のために生きるような生き方はしたくない。でも自立していかなきゃいけない。一番大切なのは自立だ。その上で色んな人と助け合っていきたいと思う。
機械ってめんどくさいのだ。世の中をものすごいスピードで変えてしまうので、対応するのに苦労する。
その一つの例がLINEだと思う。
昔は黒電話で電話をかけたり、家に行って会いに行ったりして連絡を取っていたはずだ。
それが今は簡単にチャット形式で連絡を取ることができる。
既読無視とかもよくあることだ。私もした事がある。テキトーにスタンプでごまかしたり。
連絡をとりやすすぎて、人との連絡が面倒くさくなるようになってきている。
昔は連絡をとりたくてもなかなか取れないから、会いたいとか話したいとかいう欲求も強かっただろうと思う。インターネットに全然触れていなかった私の小学生時代もそうだった。
今は逆に鬱陶しさを感じる事がある。
現代の人は、どっちかというとそういう傾向が強いのだろうと思う。
私にとっては、スマホ、携帯なしで連絡取りたくてもなかなか取れないぐらいの距離感がちょうどいい。
そうなればもう少し友好的に人と関わらようになると思う。
でも今の社会、スマホをやっていないだけでも謎の孤立感を味わうことになるかもね。だいたい大学生みんなツイッターやりすぎでしょ。そんなに楽しいのかな。
まあこんなことを言ったら昔の人からお前は便利じゃないことの苦労を知らない!と言われそうだが、確かにそうかもな。
逆に昔の便利じゃない世界を味わいたい。。そうすれば自分の生活の仕方が分かってくると思う。でもそんな昔の生活に逆戻りするようなことをすれば少し浮くかもね。
原始的って、面倒くさいけど複雑な面倒くささは無いと思うのだ。今の社会は複雑すぎる。疲れる。。
今の学生は本当に「レベルが下がった」のだろうか
今の学生はレベルが低い、という話を聞いたことがある。
准教授の人から聞いたこともあるし、あの有名な東進ハイスクール講師の林修さんもそういっているみたいだ。
自分は「今の学生」だから、少し「今の学生目線」に偏ってしまうかもしれないが、これについて考えてみようと思う。
「今の学生」の立場からはどう思うか
結論から言ってしまうと、そのようなことを言っている人たちは、自分の立場が変わったことによって若い人の実力の見え方が変わったことと、実際に若い人の実力が変わったことを混同している部分もあるのではないかと思う。
基本的に、そのようなことを言っている人達は少なからず優秀な人だ。
優秀の尺度はいろいろあるとは思うが、基本的に優秀な人たちは、学生のころから優秀な人達と関わる傾向が強いように思う。
いわゆる「ヤンキーのような人達」とは関わらず、ある程度まじめに自分が勉学などに取り組める環境で育ってきたのだろうと思われる。
それが大人になって若い人達の面倒を見る機会が増えると、ある程度平等にいろんな若い人と関わることになる。
そうすると今まで関わってきていないような、その人にとって優秀でない人達とも多く接することになる。
その相対変化で、「今の学生はレベルが下がった」「今の若い子はレベルが下がった」と感じる要素も強いのではないだろうかと思う。
もちろん、そういったこともかんがみたうえでそのような発言をしているのかもしれない。
しかし、今の学生を偏った見方で見てしまう原因はほかにもあると思われる。
- 大人が学び終わったことを、若い学生はまだ勉強していない。
- 指導する立場では、主導権が自分にあるので、自分の欠点が見えずらく、相手の欠点が見えやすい
1.について
まず、やったことがあるかやったことがないかで物事に対する認識は大きく違う。自分が時間をかけて学んできたこと、経験してきたことを、若い人達は初めて学ぶのである。
それにしても普通できるだろ、とそのような人たちは思うのかもしれないが、それは自分が今まで関わってこなかった人達と関わってこなかっただけではないだろうか、というのが私の主張である。
2.について
主導権が自分にあると、ここは分かる?あそこは分かる?こうなんだよ?と教える立場なので、相手の欠点、分かっていないところが良く見えるのではないかと思う。
それは、判断する立場である以上、必要な事ではあると思う。
しかし、判断する立場だと、自分が全知全能であるかのように(そこまではいかないと思うが)感じてしまいやすくなるのではないかと思う。
判断する立場だから自分は正しい、と思いやすくなるのではないかと思うのだ。
自分語りになるが、自分は昔から先生に質問することが多い学生だった。
質問に対する答えで助かったことも数知れないが、お茶を濁したような、ごまかしたような言い方で全然納得できないことのほうが多かった。(自分の理解不足もあったのかもしれないが)
今までは先生は「分かっている人」だと思っていたのに、質問をすると、先生の欠点が良く見えるのだ。
学生は先生をなんでも分かる人だと思ってしまう傾向があるように思うが、それは立場の違いによる見え方の違いであることも多いと思うのだ。
そのように当たり前のことではあるが、立場、状況によって見え方というのは大きく変わることだろうと思う。
自分の講師経験にも基づいて
これまでの考え方は自分の講師経験にも基づいている。自分はアルバイトで塾で講師をしているのだが、(自分の高校生のころ初めて勉強した時でもこれくらいは分かったぜ)と思うようなことも多い。
本当に今まで積極的にかかわらなかった種類の人たちとまともにかかわる機会が多いのだ。
しかし、決して今の世代が自分たちの世代よりレベルが低いとは思わないようにしている。立場が変わっただけだ。と。
まだ、自分が学生であるので、その立場の見え方も自分は分かっているからだ。
その様な事を言う人達は、学生だった頃の立場を忘れているのではないかと思う。
てか、そもそも、「勉学が出来る」=「優秀」だというわけでもないし、「何をもって優秀とするか」とかいう議論もあまり人間的でなく、冷たい感じがするので私は好きではないけども。
その様な事を言う人の立場(指導者側)から見て思う事
今は、ゲームがあり、スマートフォンもあり、娯楽がたくさんある。
そんな感じで、学生が講義中にスマホをいじっている姿を見ると、「レベルが下がった」と思うのも無理はない。
確かに、娯楽が普及したことによって、学ぶべきことをきちんと学べていない状況も発生しているとものすごく思う。
現に自分もスマホでyoutubeを見たりして勉強時間が減っていたり家事手伝いをきちんと出来ていなかったりしている。
良くデータを知らないので分からないが、「レベルが下がった」のかもしれない。
しかし、その一方で、「大谷翔平」「羽生結弦」「藤井聡太」さんたちなど、今までに例を見ないほど優秀な人達も生まれてきている。
私としてはそんなにレベルが下がったようにも思えない。
また、娯楽というのも悪いわけではない。
私の経験上、「優秀であるが考えが偏っている」人達も指導者世代には多いのではないかと思う。(多いというだけであって皆がそうといっているわけではない)
それに対して今の若者は「優秀ではあっても謙虚で社会性が強い」印象がある。
その「優秀さ」を比べてどっちが上かは別とすると、今の若者のほうが様々な立場から物事を考えることが出来ているのではないかと思うのだ。
それは、スマホやパソコンによっていろんな種類の人たちを知る機会が格段に増えているからではないかと思う。
昔の優秀な人たちは、優秀な家系に生まれて、優秀な環境で育った人が多いと思う。
しかし、今の若者たちはあまりそのように目線が偏っていないと思うのだ。
結論
「レベルが下がった」というのは自分の立場の変化によってそう感じている要素が強いのではないか
スマホなどの普及で勉強時間は減ってきていたり弊害も大きいのかもしれないが、色んな情報を知る機会が増え、社会性など、むしろレベルが上がった要素も強いと思う。
能力面でも、優秀な人たちは出てきており、前に比べて劣ったともいえない。
最後に
レベルがどっちが上だとか下だとか議論するのは本当は好きではありません。
何が優秀だ、とかそんなことを考えるのも本当は好きではありません。
ただ、最近そのような発言をよく聞くので、若者の立場から思う事を情報発信させていただきました。